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部屋とYシャツとわらG

部屋とYシャツとわらG

2010年

2010/01/06 2010年 初夢
 経緯は不明だが、今年度から行っているM2中の校内卓球大会にダブルスで出場中の私がいた。

 ペアはH中でもM2中でも一緒だった、HなY本主任だ。どうやって勝ち上がってきたのかはまったく思い出せないが、なんと決勝進出! 午後から外国人ペア(どこから参加?)との決勝戦が予定されていた。

 が、なんと、練習中だったそのペアの一人がケガをした。「オー、ノー」と日本人がやる外国人のモノマネのように叫んでいたところに、たまたま通りがかった体育科のY和先生が呼び止められ、「カワリニデテクダサーイ」 「あ、そう、じゃあ出ようか」みたいにあっさり決まった。

 「え、それ強すぎるよ~」と一応は言ってみたが、まあいいやということになる。そのタイミングで職員会議が終わったらしく、M2中職員たちがドヤドヤと出てきた。「えっ、Y和先生、大会にこれから出るの? 俺も出たい!」となぜか盛り上がり、みんなもやることに。が、参加人数が多いため、卓球大会ではなく急遽ソフトボール大会に変更となった(笑)。

 それからなぜか中学野球部の練習のようにトスバッティングを並んで室内で始めたのだが、なぜか昔のH中の教え子のO塚君がいて、しかもトスバッティングが下手なので私がつきっきりで指導する羽目になり、自分の練習ができなかった。

 そこから結構遠い外のグラウンドに移動することになり、各自移動し始めたのだがあいにく天気は雨模様になってきた。「これは完全に試合中に降るなあ…帰ろうかなあ」と一気に消極的になる私。そんな時にS中の講師飲み会の中心であるK崎先生がなぜか現れ(勤務校が違うのだが)「昼飯どうします? せっかくだから一杯飲みませんか?」と何人かに声をかけていたので、あっさりと「行く行く。飲もう!」と返事をするのであった。

まとめ…富士山も鷹もなすびもなし。運動すべき時さえせずに、結局飲み会を優先するでしょう。

ちなみに私は卓球がすこぶる苦手です(笑)
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2010/01/06 2010年 初夢 その2
 実は初夢には続きがあった(笑)。一度夢を見て、一瞬目が覚めて、また寝たようだ。その後もう一度しっかり目覚めてすぐにメモをとったのだが、先に思いだして書いたメモはこちらの話だった。後から「そうだ、本当の初夢は卓球の話だ」と思い出して続けて2枚目のメモを書いたのだ。そして、「こっちが初夢でよかった」となぜか安心した。
それではうなされていた方の初夢その2の話。

 私は身に覚えがないほどの大ヤンキーになっていた。湘南爆走族か…っていうような白くて太い特効服。そしてどうもたくさんのヤンキーに追われているようだ。

 街中は危険だということで、地下の温泉施設に入っていった。確かにここなら浴衣に着替えられるから目立たない。やたらとメモをとる。なにやら組織の秘密を書いていて、それで追われていたのか…と客観的に分析するもう一人の自分(笑)。

 ところがいつのまにか「こどもができて親に報告する!」という喜びの場面にドラマは変わっていた。夢の中の私はどうやら独身のようで(笑)、親に報告に行くのに地上に出て大きな道路を横切ろうとしていた。

 「こういう時、ドラマだと車に轢かれる」と思ったようで、「絶対に轢かれないぞ!」とギリギリ行けそうなタイミングでも我慢する。すると思わぬ方向からトラックが猛スピードで走ってきたりして「ほらな」と言っている(誰に?)。何度かそうしたことをくり返し、ついに「渡った~、さあどうだ」という所で目が覚めた。

まとめ…メモをとらずに入浴していれば、富士山の絵が拝めただろうに…。鷹の刺繍も見覚えがない…。ひとまず、「よそでこどもができる→独身になる」とならないように気をつけます(笑)。
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2010/01/18 小林繁さん
 小林繁さん死去のニュースにびっくり。

 彼の名はどうしても江川卓さんとの電撃トレード(巨人がズルをした「空白の一日」の代償)で語られるけど、そういう悲劇的な面よりも、その年に「阪神の、巨人にめっぽう強い投手」として、帽子を飛ばしながらすごく熱かったのを思い出す。

 実は小学生時代の私は大洋ホエールズ(無理して言えば今の横浜ベイスターズになるのかな)ファンだった。その昔、下関球場がフランチャインズだった影響だった。しかし、当時あまりにも巨人に対して弱い。その弱さたるや2ケタ得点で負けてしまう…。

 巨人が勝っているとテレビが切られるアンチ巨人の父を持つ我が家では、大洋の試合はあっという間に中継が終わる。しかし、この小林繁投手の活躍で、放映時間は延び、家族そろって喝采! その頃から大洋ホエールズを見限って(笑)、阪神タイガースファンになったのである。彼のあのかっこいい姿がなければ、私はプロ野球そのものに興味をなくしていたかもしれないなあとまで思う。

 とはいえ、こうして突然に心不全でなくなったことがショック…やはり悲劇のヒーロー的要素があるのか…。数年前のCMで、江川氏と言葉を交わす様子があり、「今になってこんなことを引っ張りだすとは…なんとすばらしい(笑)」と思っていたのだが、その後でこうなってしまったことを考えると、あのCMを企画した人は超ファインプレイだったなあ。

 阪神つながりっていうのも失礼ではあるが、阪神大震災…神戸が壊滅的だったあの地震から15年。テレビ局もそれぞれの視点でドラマを作っていて、その頃感じたいろいろな感情を思い出さされた。

 ちょうどその年は、初めて中3の担任をしていた年で、最初に朝のニュースで火に包まれた街を見て「こんな状況になったら高校入試ってどうなるんだろう?」と思い浮かんだ。

 2年くらいして、修学旅行(京都・奈良)の実地踏査の時に、日頃生活指導部の安全指導担当者ということもあって、神戸に足を伸ばして長田区の中学校に話を聞きに行った。長田区はまだ焼け野原になっている部分があったし、ビルが途中から数センチずれていたりしていた。でもその時にたくさんのいい話を聞いた。

 近所のコンビニでは少しの窃盗はあったかもしれないが、多くの人は店の人がいないのにレジの上にお金を置いていき、後から来た人もそのお金を取ることなくまたお金を置いていたとのこと。

 またまだ公的な支援が動き出す前にY口組などの暴力団組織が焚きだしをして被災者に振る舞っていたということ。なんでも抗争で籠城する時のために食料の蓄えがあったとかなかったとか(笑)。

 あと、避難所となった学校には無秩序に人が教室を陣取ってもめていたけど、教員の頭数がそろってから平等な割り当てをして強気で納得してもらったとのこと。防災倉庫はあったけど、役所の人がカギを持っていて到着まで開かないので扉をぶち破ったこと。無茶いう人をいさめたり、みんなで何かやることを呼びかける時に、なんだかんだいいながらも結局、「職業が教師」という人たちがていねいに大胆に仕切っていたこと…など興味深い話が聞けた。

 そういう、人のつながりとか命の大切さとか、日本人の道徳性とかを考えさせられるとともに、「この国は捨てたもんじゃないぞ」と当時希望をもらった。

 ところがそれから15年たった今、あの時の人のつながりとか道徳性とかどうしてしまったんだろう?

 便利なネット社会がライフスタイルを変えていく中で、その頃目立たなかったような意見をたくさん見るようになった。たとえば見ていたホームページとかが荒れ出すとつい成り行きを見守っているけど、あとから「見なきゃ良かった」という気になる。

 匿名のまま発言して悪口やあげ足取りがつづく。悪意の応酬に気分が悪くなる。人にはみんな善と悪の二面性があるとは思うけど、軽々しい発言とか、人を小馬鹿にするような発言とかがあまりにひどくて、「こいつが目の前にいたらぶん殴りたいなあ…」という気にさせられながらも何もできないジレンマに気分が悪くなるのだと思う。

 かといってそんなところに正論を書いたら自分が袋だたきに合うだろうから絶対に書かないんだけど(笑)。

 自閉症協会関係の掲示板あたりも、障害を持つ人をからかう、もっとひどい言い方で差別論者や存在否定者あたりがそういう意見を書いて、まともに反論していった高機能自閉症やアスペルガーの当事者と思われる人が永遠の口論に巻き込まれたりしているのを見るといたたまれない。(ちなみに東京支部は掲示板閉鎖)

 その匿名性からか、そういうことを期待する人がネットの世界には多いのか、過激な意見や右傾化した意見が目立つ。「あれ、大勢はそっちなの?」と思うこともしばしば。

 ジョン・レノンの平和思想が…なんて言ってたら非国民扱いされるような時代が来るのだろうか…。それこそ何年もかけて社会科で、国際理解とか平等とか侵略戦争とか伝えていっても、K林よしのりのマンガが流行ればみんながたくさんだまされていってしまう。というか同じくらいのパワーを持った「伝え手」を平和グループの方が持てなかったことが敗因なのか…。キヨシローだってがんばっていたし、戦争を描く映画の名作は圧倒的に「平和」を訴えているんだけど。

 酔ってないのに話が飛躍して支離滅裂になったが、神戸新聞社の7日間というドラマを見た後、「今、あの時の神戸と同じような災害が日本のどこかで起こったら、同じように人の中にせめてもの希望が見いだせるのだろうか?」と考えていて、薄ら寒い気持ちになった。教育は時代の勢いに負けてるってことについてはすみませんとしか言いようがないのだが…。
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2010/01/29 戸部けいこさん
 昨晩、漫画家の戸部けいこさんが亡くなったとの報せを受けた。

 篠原涼子主演でドラマにもなった「光とともに…」の原作者の方。レディースコミックでその連載はつづいていて、単行本の第14巻では自閉症の光君もすでに中学生。

 新刊が出ないなあ…と思っていたら、昨春から入院中で連載も3月から止まっていたとのこと…。まだ52歳の若さだったのに…。

 モデルになった自閉症児への取材だけでなく、いろいろな人や施設への取材を通して作り込んだマンガだったと思う。ストーリーも普通に楽しめるから、一般の方へどれだけ自閉症の啓蒙になったことだろうか。今やどこの学校の図書館に行ってもおいてあるし(私が行ったところはいつも私がリクエストカード書いたけどw)、生徒がはまって読んでいる光景も何度も見た。

 タイプがうちのSに結構近いこともあり、作品の中でいろいろと参考になることもあったし、いつも少し先を行ってくれる光君のおかげで、学校のことも社会資源のこともいろいろと勉強できた。たぶん、障害児(特にカナー型の自閉)の親にとって福音みたいなマンガだったのではないだろうか。

 障害児やその家族への暖かい視線を持ち、取り巻く環境の厳しさと最新情報を盛り込み、一般の読者を引きつけていく手腕…そんなすごい人にまだまだ活躍していただきたかったからものすごく残念だ。光君が「元気に働く大人」になるのを見届けたかったなあ…。それ以上に、そんな影響力のある良き理解者を失ったことは、日本いや世界の自閉症業界(そんな言い方ないけど)にとっての大損失だ。

 戸部けいこ先生、本当にありがとうございました。たぶん、この本のおかげで、知らないところでたくさん助けられていたのだろうなあと思います。

 ちなみに私が担当する社会科の選択授業(社会福祉)で、いつまで待ってもレポートが出せなかった人(主にやんちゃ系女子)は、このマンガの第1巻を読んで感想文を書くことになっていて、過去に数人が読みました…。

 「北の国から」を見ても泣かない冷血わらGがこのマンガには一度泣かされたました…。(笑)。
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2010/04/23 今年度の仕事
 今年度の仕事の方はほとんど昨年並み。昨年と同じ3校に同じ曜日に行っている。

 しかし、今年度は、講師の不安定さというか講師の悲哀を結構味わった。

 まずは数年間介助員をやっていて、昨年度から社会科も講師で担当し始めたU中の特別支援学級。教諭の異動がなかったので今年度もやる気でいたのだが、なんと…交代した嘱託の先生が社会科であった。特別支援学級だから別に社会科を受け持たなくてもいいのだが、通常級の社会だけしかやってこなかったそうなので、まあ普通に受け持つ授業は社会科である…ということで、ここの講師は1年間で終了(泣)。学校長じきじきに謝られた。

 で、その曜日に介助員だけ6時間入っている。

 副校長と教務主任の誘いで昨年度から行き始めたM2中。こちらは遠いし、生徒も比較的大変だし、無理にこちらからお願いしてまでいたい訳ではなかった(笑)のでもう1校との関係で、「週1日で収まるようならお願いします」としておいた。それまで週2日5枠だったのだが、もし社会科の他の先生が担任を持つかどうかなどで時間数が変わるので、先の発言は「やれそうならやってもいいけど他の人を探してもいいですよ」という意味だったのだが、2年生持ち上がりで週1日4時間が決定。もう3時間は別の人を探す…という「ここはあり地獄よ」状態であった(笑)。

 実は、もう1校の5年行っている地元のI中で、社会科の先生が生活指導主任になることが予定されていた。8時間の軽減があるので、選択で2時間減っても講師時数が6時間プラス…とI中で大幅増だったので、それを最優先してM2中には我慢してもらっていたのだ。

 ところが! すでに管理職試験に合格していたその先生、3月末にいきなり、都道府県の指導主事に引っ張っていかれてしまった! まさにさらわれたのだ。本人もびっくり。生活指導主任兼新3年学年主任の予定だったので学校も大混乱。ことは私の枠数の問題どころではなくなっていた。私自身も枠数が減ることよりも5年ツーカーでやってきたその人と一緒に組めなくなることが悲しい…。

 I中で13枠の予定が最小だと5枠まで減…。新しく来た人が担任なら7枠。新規採用者だと最大9枠の可能性。

 とりあえず5(I中)+4(M2中)+2(I中の支援学級は引き続き)だと11枠で、例のボーナス確定まで数が届かない。

 そこで、その日のうち(夜9時)にM2中に電話をするとまだ副校長がいた。「もう一人の社会科の講師決まりましたか?」 「いや、全然決まらない。一人連絡待ち」 「え~と、かくかくしかじかで、今なら私、7枠全部もてますけど…」

 ということで、びっくりするほどお礼を言われて(笑)あまりうれしくない方の学校が増枠。

 最終的にI中には新規採用の方が来たけど、軽減が2しか認めてもらえず、その結果私の枠は7で決定。

 結果、今年度の週当たりの講師時数が16、介助員時数が6となった。昨年度は講師18、介助4、数学サポーター2だったので、ちょっと減ったけどちょうどいいくらいにおさまった。

 しかし、こうやって春先まで他の人の予定に振り回されるのもなんだかすこしくやしい。

 あまりそういうしばりのない高校とか(クラス数が変わらないから)、私立とか、そういうことも少し考えたほうがいいかもなと思った。

 ただよく考えてみたら、荒れてる高校でがんばる元気ないし、進学校だと勉強ついていけないし(笑)、ちょっと無理だった…。こう見えても教師1年目は都会の名門女子私立の講師だったんだけど…。 ちなみにその高校で私が作った第1回目のテストの平均点が90点!…自分で解いたら60点くらいだったんだけど。
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2010/08/26 胃カメラ
 3年前に胃の検診を受けたときに、2次検診送りとなり、後日またバリウムを飲んでていねいに見てもらい、「胃郭部変形?あり、でも医療の必要なし」と出た。

 確かその2年前も同じような結果だった。つまりまじめに受けた年はバリウム検査を2回やらなければいけなくて、どうせまた「異常なし」と最終的になるのなら受けなくてもいいやと思いがちになっていた…。

 職員としての無料の健康診断なのだが、講師の仕事をしていると各校でチャンスがあるため、曜日がうまく合ったところを優先して受けている。だいたいの検診が、健康診断はこの日、循環器検診はこの日、結核検診はこの日とばらばらなので調整が難しく、どれかを受け損ねる年もあれば、違う学校で2回やってデータの細かい変化を参考にするときもあったり(笑)いろいろである。

 介助員で行っているH市は夏休みに教育センターで長い期間受け付けていたので一番良かったのだが、どうも昨年度から正社員だけに切り替えたようで案内がこなくなった。M2中のある市町村は小さいので平日の指定日に一日だけ、それも学校ではなくて他の場所…ってそんなところに行くのは難しい。今年はI中のある自分の住む市だけが良心的な形だった。まず、曜日に合わせて市内の他の学校にも行かせてくれる。自分の勤務校と日程が合わなくても、後日、帰りに他の小学校で受けさせてもらうなどできた。

 さらにありがたかったのは、先の理由で毎年億劫になっていた胃の検診も、養護教諭に話すと、最初から2次検診に希望が出せる…という太っ腹な企画があることがわかった。バリウムの検査が嫌いなのはゲップを我慢するのが苦手だからである(笑)。苦しくなって、そーっと空気を抜いても検査中の医師にはばれるみたいで、追加の炭酸水を飲まされたりする。ところが「いきなり2次検診」の際に、本来なら3次検診で登場する胃カメラも選べますというではないか! でも、胃カメラといえば「苦しかった」とか、「よだれだらだら地獄のような苦しみ」…といった話も昔聞いた。だが、ここは「ゲップ我慢地獄」と比較するためにもチャレンジすることにした。これが無料でやれること自体長く続かないかもという話だったのだ。ましてや正規職員でない人が希望しているわけなので、次がまたあるかどうかわからない。

 検査指定病院にいくと、「のどからが苦手な人には楽な鼻からの挿入もできます」と書いてあった。口から飲み込む相当な覚悟ができていたが、むむ、それなら鼻からのほうがいいかも…でもこっちはお金を払う検査の人だけか?などと迷いが生じる。そこに現れた相当年配の看護師さん、「鼻から入れますね」というではないか。とてもうれしそうにうなずく私。看護師さんが天使に見えた…と言いたいところだが最初からちょっとミイラ的な方だったから即身成仏に見えた…などと言ってはいけない。この方、てきぱきしているようでかなり事務的というか雑なので、こちらも「操られている感」がただよう。前の順番の同世代の女性とともに、「鼻に軽い麻酔をしたので押さえといて下さい。鼻水出ます」と言われたが、かなり人が通る廊下のベンチで二人並んでティッシュで鼻を押さえている光景は結構笑えるというか、配慮足らないよ。

 で、自分の順番が来て、確か腕に麻酔注射をして横たわる。鼻から管が入る。「あっ、来る。あたたた、痛いじゃねえか」などと思いながら、「うっ」と声を上げて体をこわばらせて目を閉じていると(Hな話ではありません)、「目を開けてください」とそのファイバースコープの映像を見せられる。「今、食道を通っています」と言われ、「ああ、いったい胃に届くまでどれだけこのスルスルと入っていく気持ち悪さがあるんだろう」と思っていたら、鼻のところだけつらかったが後はあっという間に胃に到着であった。

「ああ、ここは潰瘍の痕がありますねえ。ほらここ」と言われても自分の胃を見るのは初めてなのでわからないが、白っぽい結構大きな胃潰瘍の痕があり、それが今は変形ということでひっかかるらしい。

 十二指腸に進んだファイバースコープはここにも十二指腸潰瘍の痕を2つ発見。「ここにもありましたねえ、痛くなかったですか」と言われる。

 最後に抜くときは思ったより痛みや恐怖はなくスルスルと抜けていった。イメージで言うと、ギターの6弦をあたりを飲み込まされてスルスルと目の前で動かしているような感覚だったが実際はもう少し太かったかなあ。

 胃の一部変形で引っかかるようになったのはこの数年だから潰瘍はそれよりも前のことだろう。それこそ10年以上前のH中の頃もよく胃の1次検診でひっかかっては、夏休みに2次検診に行くと「異常なし」となっていた。夏休みになると生活指導がないからストレスがなくて一時的に治っていたのではないか…。

 そうすると、タイミング的には息子Sが障がいを持っていて…とわかり始めた9年前くらいとか、仕事そのものと通勤に強いストレスを感じていた養護学校勤務の時代…7年前くらいか…とストレスの強かった時期のことを思い出そうとしていると、医師にあっさりと、「たぶんピロリ菌ですね。胃潰瘍の人の8割はもうこれピロリ菌です。別料金ですがピロリ菌の検査もしますか?」と聞かれた。

 で、後日検査結果を聞きに行くと、いました、ピロリ菌! 「子どもの頃、川で遊んでいたり、井戸水を飲んだ世代の人はたいていいますよ」と聞いていたが、1週間薬を飲んで退治…ということになった。副作用も人によってはあるということで8月16日月曜にスタート。さすがにおなかの弱い私は連日のゲーリー・クーパー(古い)。しかし、何回も出るわけではなくて痛みもないので、便は出ても特に不便はなし。

 4日目くらいからおなかの調子も普通に戻る。医師も適当なのか自信があるのか、「いなくなったかどうか」の検査をしにこいといわなかったので、その後行っていないのだが(笑)、とりあえずこれで、胃潰瘍や胃がんとは永遠におさらば? といきたいところである。

 で、胃カメラの検査についての感想は、「2年に1回なら受けてもいいです」というくらいのものであった。私の中ではバリウムの検査と同格である。

 ちなみにこの検査、普通に受けると1万2千円くらいするそうだ。ただで受けといてよかった!
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2010/10/19 お盆のころに
 今さらながらお盆のころのネタを二つ。

 1つ目は長崎の「精霊流し」について初めて知ったこと。

 それまでの私のイメージは、さだまさしの「精霊流し」の歌詞から勝手に解釈したイメージで、まるで笹舟を追いかけるように、水面に浮く灯篭?のようなものを追いかけて川沿いを歩くイメージ。川面に浮かぶ数々の灯篭の光…と思って聴いていた。

 ところが、NHKのSONGSで見たのは、そのさだまさしさんの父がなくなって、精霊流しをするというもの。私と同じイメージだった人はぜひ、先に「精霊流し」を画像検索してください(笑)。自分の目で見た方が衝撃が大きいです。でもこの1行後で、間違いを告白します。

 なんと、流す船は、道路の上を流れていた! というか、屋形船風の超ど派手なでかいもの(タイヤ付き?)をみんなで押したり引いたりしていくのだ。その飾りのなかに遺影とかがあったりする。まわりもしんみりではなく、爆竹とかが派手に鳴り響いていた。日本風の行事というより、異国文化そのもの。長崎おそるべし。

 ただ、映像を見た後に、もう一度「精霊流し」の歌詞を口ずさんでみると、まったくその通りの様子をちゃんと歌っているのだ。だから今までは何も知らずに「勝手に妄想していた自分」にちょっとびっくり。ちなみに妻も全く同じことに驚いていたので、賛同してくれる人は多いはず(笑)。たぶん、精霊のことばの響きを「灯篭(とうろう)」で受け取っていたのか。

 2つ目は、この夏、友人のお墓参りに家族3人で行った時のこと。隣県なのだが、なかなか遠い。渋滞もあり、車で2時間半くらいかけてやっと墓地について駐車。そのときに一度中央入口付近に停めたのだが、なぜだかよくわからないうちに、私は駐車場の反対側に車を停め直した。なぜかうまく説明できないが、少ししてから、「他の車もこっちにあるから入り口がこっち側にもあると見た」とよくわからない言い訳を家族にしていた。

 以前お墓参りに来た先輩から墓地内の地図をもらっていたので、たぶんあのあたり…というイメージがあった。そのイメージは、お墓の中をずっと奥まで歩いてそこからずっと右に進む感じ。ところがその右手の門から入ると、初めて来たのに、「あれ、このお墓かな」なんて目に入ったのがあり、そこを見ると彼女の苗字と同じ…。でも見えたところにある名前は男の人の名前。

 地図を見ても、さすがにこんなに近くはないから違うだろうと思いながら社務所?的なところへ行き、花を買ったり、バケツに水を汲んだりする。そしてそこから正面方向に進むとずっと奥まで行くつもりがすぐに行き止まり。「あれ?」なんて、もう一度地図を見ていると、なぜか墓地内に滑り台があり(笑)、もちろんSはそこに釘付け。早く行きたいのに、10分足止め。

 今時の都市型の墓地は小型化しているので、地図の縮尺もイメージと違っていたようで、そのサイズに戻して考えて道をもどると、なんと最初に見た「さっきの場所」にあったのが目的の友人のお墓だった! 男性の名前があったのは、お墓を建てた家族の名前が横に彫ってあるものだった…。

 呼ばれてるってこういうことか…。友人だから怖いとは思わないけどちょっとビビる(笑)。

 その後、お参りしている間、Sはお約束どおり、靴で墓石下部に登ってしまったり、まわりの葉っぱを御影石の上でちぎってしまったりする。注意するも、妻がお線香に火をつけるのに時間がかかり、その間にほかのお墓に迷惑をかけるよりは…と野放しに。バケツの中に葉っぱがいっぱいになったり、その水でお墓を洗ったり(泣)といろいろしているが、まあ「たぶん許してもらえるだろう」という勝手な想い。

 立ち去るときに、可能な限りはキレイにしていったが、車に戻ってびっくり。車を止めた場所は、なんとお墓から直線距離で最も近い場所だった…。たぶん、車を止めたあの瞬間、「来た~、わらさん一家! ここだよ、わらさんわらさん」みたいにむっちゃ呼ばれてたんだろうなあ。嬉しいような怖いような(笑)。

 帰りは高速道路で一気に戻り、市内のプールへ。自閉っ子Sは、下関でもこのパターンだったので「墓参りの後は泳げる」と変な思い込みが付かないといいのだが…。
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2010/11/12 布袋はでかい
 教員採用試験を受けたわが校の若い先生。ややこしいのだが、すでに教諭と同じ仕事をしているのだが、試験を受けなければ本採用にならないという昔の補欠合格のような制度なのだ。

 いよいよ発表当日。私は他校勤務の日でいなかったのだが以下は他の先生から聞いた話である。

 合格発表は10時からインターネットでも見られる。ひとりの先生が職員室でそれを見始めるのをみんな他の仕事をしながらも横目で見ている。嬉しそうな笑顔。管理職に報告に行く。まわりのみんなもほっとした笑顔。

 こうなると、もうひとりはどうだ…みんなの視線が彼に集まる。私は初対面のときに布袋(ほてい)寅康に似ていると思ったのでここでは彼を布袋と呼ぼう。ちなみに生徒は山根(アンガールズ)と呼んでいるようだが。

 さて、布袋くん、パソコンの前に座った様子もなかったのだが、なんだか浮かない顔をしている。教頭先生の前に浮かない顔のまま近づいていく。

 彼が教頭に小さな声で告げたのを、先輩教師たちは聞き逃さなかった。

 「すみません…」

 誰もが思った。「あいたー、ひとりはだめだったのか~」

 しかし、「すみません」には続きがあった。

 「すみません……受験票をなくしてしまって、番号がわからないんです。」

 聞き耳を立てていた先輩教師は思わず「なに~~~~!」と叫んだ。

 「もしなくしても普通は番号控えてるか覚えてるだろう!」

 うながされて「たぶん…」という番号を言わされた布袋くん、その番号をみんなで見るのだが、ない…。見事にない。その番号の前後はあるのだが。

 その夜、布袋くんは合否の結果が分からぬまま、お祝いの会に参加(笑)。

 家に帰ると友人から留守電に連絡があったようだ。その友人は教員採用試験の日に一緒に飲んだ友人。

 「お前の受験票が俺のうちにあったよ」

 「番号みたけど、お前合格してるよ」

 翌日、合格の報告をみんなにしたそうだが、よろこぶ人よりも笑ったり、しかったり(笑)する人のほうが多かったらしい。

 ちなみにうろ覚えだった受験番号、びっくりするほど全然違っていた…そうである。

 ようこそ、大型新人!
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2010/11/30 攘夷はダメよ
 先日、姉妹都市のあるアメリカ合衆国某州から中学生がI中の体験授業に来ていた。
ホームステイ中に自分のホスト中学生がいるクラスに入るのだが、基本的にはこちらが授業予定を変えることはなく、授業者がサービスで英語に訳したりすることがある…くらいである。

 もちろん英語の授業は大活躍なのだろうが、こちとら、日本人にも難しいとかつまらないとかいわれることもある社会科である(笑)。外国からのお客様によくわかるようにしてあげるのは難しいが、たまに思い出したように英語に訳そうとしてみんなで悩んだり笑ったりできるくらいのもてなしはできる。

 だから、そんなにかまえることもないのだが、その日は5時間目まで授業に出て、6時間目はもう帰ると聞いていたので油断していた。が、授業が始まると彼女は座っていた。なんでもアメリカで歴史の授業が好きらしく日本のにも興味があるらしい。

 アメリカン中学女子に自己紹介などした後、この日の授業は「ジャパニーズヒストリー」であることや「ナインティーンセンチュリー」であることを伝え快調な滑り出しである。

 しかし、実はすでに困っていた。本日の授業はちょうど開国後の日本のこと。ペリーが来た所ならうまく彼女を活用できたのだが、今日は『尊王攘夷(そんのうじょうい)』が主なテーマである。アメリカ人の目の前で、「天皇を尊び(大切にして)、外国を打ち払う」ということばをしつこく説明する私。教室には妙な緊張感が漂っている(笑)。

 まいったことに、日本語が好きな彼女は、黒板に書いた言葉をノートに記入している! 姉妹都市の授業で「こんなこと学んだよ」ってアメリカに帰って見せられたときには国際問題か?(笑)

 まあ、別に私がその考えを主張しているわけではないので、「カイザー?エンペラー?ハハー(これは土下座的ジェスチャー)、フォリナー・ゲットアウト」とまあびっくりするような言葉をやさしく説明する私(たぶんとんでもない誤訳説明)。

 もちろん、今の考えと思われないように、「ロングアゴー、エドピープル」と語ったり、一応したけど、なんせそれを伝える通訳がホストファミリーの日本中学生(しかも英語の成績は中の上くらい)なので大丈夫だったかどうか…。

 そんな中、授業は進み、お迎えの保護者や市の関係者や本物通訳や校長などの訪問団が大人数でお迎えに来た。というか大人数で見学。聞いてないってそんなこと。黒板には燦然と輝く「尊王攘夷」の文字。

 しかもここら辺りで授業内容は「桜田門外の変」になり、尊王攘夷派の水戸藩士たちが、井伊直弼を銃で打ち(ここは結構刀で切ったと思われているけど実は銃殺らしい)、その後カゴに迫ってトドメを刺し、首を切り離し、それを刀の先に差して「井伊直弼打ち取ったり~」と走り回った人がいて…と生首を差して走り回るポーズを取っているところでその10数名の訪問団の皆さんご入場。バッドタイミーング。

 ちなみにその人は争った時の刀傷が元で途中で倒れ、生首が道端に落ち、そのままに。それを落ちた場所の前の家の人が拾って家に置いて連絡したけど、井伊直弼の首だと認められない幕府や井伊家は、他の家来(加田)のものとして取りに行き、その首を死体につけてまだ生きていることにした。翌日、家督相続の儀式が終わった後に亡くなったことにした…という話をするのだが「これが日本の歴史の授業か~」とこのワンシーンだけで語られると困るんだけど…。

 その時、「ナマクビ ミーンズ …」とつぶやいてみたのだが、よくわからないし、わかってうまく伝わるとかえって大変そうなのでやめといた(笑)。

 後日談…南北戦争の話題がこの時代の中心となるアメリカでは「ペリー」のことを教えないらしいと日本生徒に授業で伝えていたのだが、ホストファミリー日本中学女子がアメリカン中学女子に聞いたところ、やはり知らなかったらしい。

 極東の国日本で、ザビエルと双璧でこんなに有名なのに! 

 あと、ペリーは知らないけど、「ジョン万次郎」は知っていたそうで、まさに「へえ~」と思った。

 アメリカン中学女子、そんな授業でも気に入ってくれたのか、授業後にボストンレッドソックスのボールペンをくれました…。つい勢いでもらっちゃったけど、日本では授業後に生徒からプレゼントをもらわないわな(笑)
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2010/11/30 龍馬伝
 今回の大河ドラマ、龍馬伝の感想を、「社会科の先生の目から見てどうなんだ」と結構いろんな人に聞かれるのだが、史実がどうのこうのを抜きにして、私は結構、福山龍馬を楽しんだ!

 もちろんもともと坂本龍馬も福山雅治も好きだったので入りやすかったのもあるが、回を追うごとに「これが龍馬だ」と思えた。

 個人的には、大好きだった「竜馬がゆく」の原作「司馬遼太郎」さんはなぜか下関と竜馬のかかわりをあまり描かなかったのだが、今回のドラマでは結構出てきたし、高杉晋作が四境戦争(しきょうせんそう・第2次長州征伐のことを山口寄りの人はこう言うらしい)で戦うときは、着流しで三味線弾きながら戦場を歩くなんてカッコ良すぎで、震えたというか思わず笑いが出たし、すごく楽しめた。

 「新撰組」のとき以来のおもしろさだったと思う。

 授業でちょうど薩長同盟とかやる時の生徒の食付きも例年とは違っていた。特に女子。歴女は確かに増えているような気がした。

 ただ、授業できっちりおさえたことは、「実在の龍馬の顔は福山雅治ではない。ましてや武田鉄矢では決してない。私は「内藤剛志」が似ていると思う。」ということであった(笑)

 ところで、そんな女子生徒の中で、「うちは家族全員が楽しみにしていて、全員が揃った時に見ています。お父さんがなかなか早く帰らないので、『第1部』がやっと終わったところです」というある意味これからの楽しみが多くてうらやましい人がいた。家族みんなで見るってどんな感じなんだろう。やっぱり、お父さんのうんちくタイムとか入るのか…。
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2010/12/31 2010年
 年賀状に一番たくさん書いた一言。

「昨年は、珍しく、学校も家庭も平和でした。」

 ブログから離れてしまい報告できてないけど、結構いい年でした。

 でも特に何も成し遂げていない年でもある(笑)。

 2011年がみなさんにもいい年でありますように!


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